「社友誌への投稿文」
                                                                                                        平成18723日
                                                                                                              八木 真之助
                                                       72歳の挑戦」

 つい最近「プロスキーヤー三浦雄一郎エベレストに挑戦」と言うテレビが放映されていた。彼が最初にエベレストに挑戦したのは200370歳の時であった。そして2008年には再度ヒマラヤに挑戦すると言うことで様々なトレーニングを開始したとか。私はエベレストと言う訳には行かないが、今年72歳で日本の最高峰富士山に挑戦したいと思い、その為のトレーニングを開始した。毎日朝晩登山靴を履いて家の近くを3040分靴馴らしの歩行訓練をしている。 

さて、私は三菱マテリアル退職後、暫くして60歳の還暦を記念して最初の富士登山に挑戦した。旅行会社の企画した「富士登山ツアー」の広告を見つけて、始めての富士登山に挑んだのである。まだまだ元気で体力には自信があったが何しろ山登りは始めてであり、あまり得意な分野ではなかった。何の下調べも無く簡単な気持ちでバスに乗り込み、山梨側の5合目に到着して、すぐ登り始めた。このツアーでは専門家のガイドも無く、8合目の山小屋で仮泊して、翌日の12時までに5合目まで、各自自由に下山するという内容であった。

このツアーには小学生や高齢者も居るという寄り合いのツアーであったが、直ぐに登山を始めた為、6合目〜7合目辺りから高山病にかかり、気分の悪くなるものが続出した。私も6合目あたりから気分が悪くなり、酸素ボンベから酸素を吸引しながら、休み休み登るという有様であった。山小屋では早朝3時に出発したが、すっかりバテてしまい、帰りの五合目集合時間に大幅に遅れてしまうという苦い経験があった。5年ほどして子会社も退職してフリーになったのを記念して、かつ65歳記念と合わせて、2度目の富士登山に挑戦した。

御殿場に日本YMCAの東山荘という宿泊施設があるが、ここの指導員が富士登山歴200回以上と言う富士登山の超ベテランであるが、富士の四季を通じて精通している指導員の指導を受けて、再度富士登山に挑戦した訳である。2回目の富士登山はしっかりと登山に対する知識を勉強して、富士山の登り方(歩き方)から装備の点検まで指導を受け、満を持しての挑戦であった。最年少7歳、最高齢は72歳を含む約25名の富士登山グループであったが、初回の富士登山と違い、経験豊かな指導員のもと、全員無事に山頂まで登りご来光を仰いでから、皆元気に下山することが出来た。

2年前、70歳の古希を記念して3度目の富士登山を企画していた処、脊椎狭窄症による腰痛に悩まされて歩行困難となってしまった。10分歩いては10分休むと言った状況で、とても富士登山が出来る状況ではなかったため、3度目の富士登山は断念していた。しかし一昨年の10月、狭窄症の手術をしたが、術後の回復が思いのほか早く、手術後2ヵ月にしてテニス、ゴルフなども出来るようになり、略昔日の体力に戻ることが出来た。つい先日も西東京OB会(旧三菱鉱業セメントOB会)と言うゴルフの会での6月例会でべスグロ(45,45=90、ハンデー18)で優勝するという快挙を成し遂げた。

たまたま冒頭の三浦雄一郎氏の話を聞き、大いに勇気を貰った次第である。72歳にして、半ば諦めかけていた3度目の富士登山に挑戦して見ようと思い立ち、トレーニングを開始した訳である。今回は日本YMCA御殿場の小学生16年生を対象とした富士登山ネイチャープログロム「小学生の富士登山グループ」の最後尾について登ると言う許可を得て、我々高齢者のグループ4名で富士登山に挑戦することとなった。824日〜26日まで23日の登山である。

この時期になると富士山も登山シーズンの終わりに近く、人出も少ない為、山小屋もゆっくり休めて、のんびりゆっくり富士登山を楽しむことが出来るのである。この富士登山の顛末については機会があれば述べたいと思うが、取り合えず、我々シニィヤグループは無事に3750mの富士山頂を極め、ご来光も拝して、下界に生還することが出来た。但し、翌日から3日間足腰の筋肉や関節が硬直して、歩行も困難であったが漸くにして回復、正常な生活が出来るようになったことを報告する。

蛇足ながら三浦雄一郎氏の父三浦敬三氏は昨年101歳で他界したが、亡くなる寸前までプロスキーヤーとして生涯現役であったと聞く。スキーを目指したトレーニングで体力を鍛え、冬場になるのを待って、日本国内に留まらず、遠くヨーロッパのアルプスまで出かけていたと聞く。何時までも充実した人生を送るためには常に挑戦するという精神が大切ではなかろうかと思う次第である。何かに挑戦する気持ちがなくなった時、それは人生の終焉を意味する時であろう。百歳までとは言わないが、せめて80歳から90歳位までは元気な現役でおりたいものである。三浦親子にはそんなことを教えられた。実に素晴らしいことである。

                           

                                    朝焼けの富士山(富士7合目から)

                      
                                          
   富士登山証明書