(社友誌原稿)
[癌の恐怖]
平成19年8月1日
八木 真之助
今年に入ってごく親しい先輩・後輩である友人が5人も次々とガンで死亡した。お正月早々に亡くなった先輩とは亡くなる少し前の忘年会で、親しくお話を伺うことが出来たが、既にがん宣告を受けており,自分の余命は後わずかであると言われていた。多分最後のお別れに、かっての仲間たちの顔を見に来られたのであろう。20年ほど前は、癌については本人には告知せず、家族のみが医者から宣告を受けていたと聞く。若くして肺がんで亡くなった同期の友人はお見舞いに行った時「自分の病気は肺にカビが生える病気である」と言っていたことを思い出す。最近は殆どの病院で本人と家族にはっきりと告知しているようだ。「社友」11号で牧さんがご自身の「癌体験」について発表されていたが、何といっても早期発見が重要で、そのためには定期健診を欠かさないことと言われていた。 私も最近腹部に異常を感じて、もしや何処かに癌が侵入したのでは?と心配になり、早速基礎検診を受診した。ついでに腹部のエコー検査を実施したがその結果は特に異常なしと診断されて一安心したところである。友人・知人がガンに侵されて亡くなっていることに対する恐怖はなかなか解消できるものではない。基礎検診で異常が見つかり、精密検査の結果西洋医学ではもはや如何する事も出来ないという宣告を受けたという話も聞いている。こんな降って湧いたような「突然の死刑宣告」を受けたら、本人も家族もただ呆然としてしまうばかりであろう。 人生73年、既に老境に到り、特にやり残したこともなし、今後に何の憂いもない悠々自適の身とは言え、突然の死刑宣告を受けたらどうなってしまうかと考えたら空恐ろしくなる。身辺の整理は既に出来ているが一番足りないのは心の準備ではないだろうか?生あるもの何時かは尽きる命であることは十分に理解しているが、うろたえることなく我が人生の終焉を迎えるためには、それなりの心の準備をしておく必要があろう。
人間にとって、誰しも望む理想的な終焉は何の苦痛もなく、ある日突然に、ころりと終息する「ぴんぴんころり」であろうが、これはちょっと望めないことであろう。最近ガンに関する文献で、「天寿ガン」という言葉を聞くが、天寿ガンとは「さしたる苦痛もなく、あたかも天寿を全うしたかのように人を死に導く超高齢者のガンと定義しているそうだ。超高齢者とは男性83歳、女性90歳以上をいう。高知大学名誉教授の森惟明先生の主催する「セカンドライフ支援講座」によれば、人の死は悲しいものであるが超高齢者の安らかな死を日本人は「天寿を全うした」として、むしろ祝福し「大往生」といってきた。長い人生を存分に欧歌した後、何の苦痛もなく家族に見守られての死が本人にとっては、最も幸せなことであろう。
癌の猛威に恐れおののくばかりであるが、病気や事故で亡くなった80歳以上の人を解剖すると癌が死亡原因ではないのに癌細胞が見つかることがよくあるとのこと。要するにガンは体細胞の老化現象の一種で、高齢化につれて多くなるとのことである。医学が如何に進歩しても将来ガンが完全に無くなることは考えられないそうだ。前出の森先生のお話によれば、今後はガンに罹る年齢をもっと後ろの方にずらして、人としての自然な寿命が来る年代まで遅らせて天寿を全うさせることが今後のガン対策となるであろうとのことである。超高齢者のガンでは、さしたる苦痛もなく、あたかも天寿を全うしたかのように人を死に導くとのこと。根治出来ないガンには進行を遅らせ、生活の質を保ちながらガンと共生する治療も研究されているそうだ。天寿ガンでは、末期症状の疼痛があれば苦痛をコントロールする程度で無意味な延命措置をしないというのが最良の治療という見解も紹介されている。
昔は90歳以上の高齢者がガンで死亡することは稀で、癌になりやすい人は若い内に癌にかかって死亡し、癌になりにくい人が天寿を全うできると考えられていたそうだが、最近では寿命が延びて、超高齢者の多くがガンで死亡するようになったとか。日本人の3人に1人がガンで亡くなると言われる現在、超高齢者になって癌で死亡するのは極自然な死に方であるとか。最近のガンに対する恐怖を取り除くために色々勉強した結果が以上の結論である。癌を恐れることなく、ガンと共に共生して天寿を全う出 来るような人生設計が確立されることを切に望む次第である。参考までに森先生の主催する「セカンドライフ支援講座」のホームページを紹介する。これからの高齢者のセカンドライフガイドとして色々興味のある内容である。ご一読をお勧めする。
http://www.i-kochi.or.jp/prv/morik/secondlife/secondlife.htm