(北大茨水会会報に投稿) 

                                  
 北大優勝当時の思い出 

                                                  
 平成25年9月20日 
                                                                       昭和32年卒 八木 真之助

 大昔の話で申し訳ないが過去の歴史を振り返って見ることは大変有意義であると考えるので敢えて投稿する次第である。私は昭和29年北大優勝当時、5番漕手として乗艇し、その後30年5番、31年3番と3年間北大エイト漕手として乗艇した。10年前北大優勝50周年を記念して、稚内での東北戦の観戦に、当時の漕手仲間が参集してレースを観戦したが、その時は何十年振りかで北大が東北大学を破り、大いに沸いたものである。今年は北大優勝から60年、当時19歳であった私も今は傘寿(数えの80歳)を迎えることとなった。今年も残念ながら北大優勝と言う声は聞かれなかったが、元気に活躍している学生諸君のニュースを拝見して、往時を思い起こして、学生諸君を励ましたいという気持ちで投稿する。過日、茨水会関東支部の新年会である大先輩が奇しくも発言されましたが、“我々の目の黒いうちに、何とかもう一度優勝と言う声を聞かして欲しい”と。

  私も傘寿を超えて余命も残り少なくなったものと思う。出来ることなら“エイトで北大優勝”という声を何とか聞きたいものと願う次第である。北大漕艇部も誕生してはや70年になろうとしている。今漕艇部の歴史を紐解いてみると北大漕艇部誕生は昭和20年(1945年)とある。昭和27年、今は亡き堀内コーチ率いる北大ナックルフォア・チームで国体全国優勝、翌28年北大エイトクルーの誕生、そして全日本漕艇大会に初出漕して在京チームの一角を打ち砕き準優勝、翌29年向かう敵なしの堂々たる北大エイトクルーの初優勝であった。私は丁度その年から乗艇し、栄えある優勝杯を手にすることが出来たのは何たる幸運かと我が身の強運に感激した処である。丁度この年は、27年国体ナックルフォアから始まった堀内漕法の総仕上げの年でもあった。60数年前の堀内漕法とは艇の抵抗を最小にして、コンスタントな艇速を得る為には如何したらよいかと言う一点に尽きる。極、当たり前なことであるが科学的データーを基に漕艇理論の実践をした。航空機用の加速度計をコックスの前におき丹念に艇の加速度を測定し、艇にかかる無駄な力を検出して徹底的に漕手の動きをチェックしたのである。スポーツと科学がこれほどまでに密接に関係している事を始めて教えられた。 

   昭和29年度の新人は5番の私と3番の木下君、2番の三幣君の3人であり、他は全員28年からの残留であった。この新人3人はナックルフォアの経験が若干あった程度の全くの素人であったが、4月上旬茨戸の雪解けを待って、東大から譲り受けた老艇“雄飛”に乗船、練習開始であった。やがて新艇
寿が到着して寿による練習が始まった訳であるが、何しろ新人3人を抱えた新クルーがスムースにオールが引けるようになるまでが大変であった。この年から投入されたモーターボートは新人3人のオール先に張り付いて、情け容赦なく堀内コーチの罵声が飛んできたのである。モーターの音に邪魔されて、全て私の5番に聞こえるから大変である。コーチの声は概ね{フィニッシュを引き上げろ!キャチを素早く!フォワードゆっくり!水中一気!}くらいの繰り返しであったが、何しろ新人3人分+αの罵声を受けなければならない。“これでもかこれでもかと自分自身に言い聞かせてオールと格闘したのである。丁度5月の連休は新クルーの特訓スケジュールであった。午前午後の2回下ドンをやり、途中パドル20本と30本を数回入れながら最後にパドル300本を引いて片道の練習を終わる。この間数十回の罵声を聞きながら、無我夢中でオールを引き上げているうちに、気持ちよくポーンとオールが抜ける様になったのである。この時期の特訓の成果は自分自身でもはっきりと漕手としての成長を感じ取ることが出来た。疲れ果てた末に良いオールが引けるようになる為の試練であろう。その成果が後半の艇速にはっきりと証明された。この時期を過ぎてボートを漕ぐ楽しさを理解した。それはオールに伝わってくる水の感触を楽しむことであり、ジーと水を見つめて艇のスピード感を楽しむことである。

  大将語録の中で我々が良く堀内コーチから聞かされた言葉がある。“練習はナイン(9)を増やすことである”今現在の力では90%の優勝確立であるが、それを99%〜99.9999…%へとナインを増やす努力が大切である。今は古びた諺となっているかも知れないが、当時堀内コーチから教えられた大将語録の幾つかを参考までに記しておこう。“キャッチは素早く猫がねずみを獲る要領で、馬の尻を撫でるように!フィニィシュは手元を引き上げる、かまぼこをひっくり返すように!フォワードは足を最後まで突っ張る気持ちで、お尻は最後まで残して!”等が堀内漕法の真髄を良く表している言葉である。29年初優勝以来オールの研究、リガーの研究、塗料の研究等次から次へと艇の抵抗を小さくして艇速を伸ばすための努力が続けられた。残念ながらナインを増やす努力の結果も虚しく、29年以降優勝することは出来なかった。機械ではない人間の成せる技には常に予期しえない事象が起こるものである。特に8人の漕手が完全に一体化して各自が100%の力を発揮することが出来るように心、技共にコンデションを整えることの難しさを痛感した次第である。現代の漕艇理論はよく判らないが、漕艇理論の原理は何十年たっても変わることは無いであろう。もう一度北大の漕艇原理に立ち返って現状を見つめることも重要ではないだろうか? ボートの花であるエイトで全国の注目を一身に集め、颯爽と疾駆する雄姿を生きている間に見たいものである。

   今、国立大学でのボート選手の養成は非常に困難であろう。今後とも困難な情勢は続くことであろうが、今は改革の時代でもある。我々も安易に過去の回想に耽っているだけではなく、次なる目標を定めて、新たなる改革に向かって出発をしなければならない。幸いなことに優秀な指導者と多くの情熱溢れるボート部員諸君がいる。現役部員と
OB,OG諸君が一丸となって優勝という目標に向かって邁進すれば自ずと彼方に光明が見えてくるであろう。   頑張れ!北大ボート部!           

       
                     
              
昭和29年北大優勝クルー(朝日新聞社提供)    優勝直後の選手一同(戸田コースにて)