三菱社友誌に投稿(2008年10月号掲載)
終戦記念日に思うこと
平成20年8月5日
八木 真之助
いよいよ今年も猛暑の季節到来。この季節になると先ず日本中が熱くなる。まず夏の甲子園、次が広島・長崎の原爆記念日、そして太平洋戦争の終戦記念日と行事は続く。8月15日には毎年のように総理大臣の靖国神社参拝問題が浮上する。昨年当たりから東京裁判で日本無罪論を発表したインド代表のパール国際判事の話題が出るようになった。NHKでも紹介されていたが、太平洋戦争に関する「極東国際軍事裁判」の実態が徐々に明らかにされて来つつある。戦勝国が敗戦国を裁くという絵図はかってヨーロッパの列強が征服した異国を裁き、主だった勢力を処刑して、自国に好都合な政府を作るという植民地化政策に等しい手前勝手な裁判であるという説が大きく報じられるようになった。合わせて広島・長崎に投ぜられた2発の原子爆弾によって、35万人もの一般市民が一瞬のうちに灰塵と化した事実に対して、厳しく糾弾し始めた。毎年終戦記念日にあたって、何か心の片隅に引っかかるものを感じていたが、最近パール判事の「日本無罪論」なる小誌を読んで大いに感銘を受けた。
終戦当時、インド代表として「極東国際軍事裁判」の判事に任命されたパール判事は太平洋戦争に関する膨大な資料を集めて、その上で日本の無罪論を発表した。戦勝国側11名の判事のうち、ただ一人パール判事はA級戦犯28名全員に無罪の判決を下した。この記録も最近公表されているが、パール判事は当時インドを始め、アジアの大半の国が、ヨーロッパやアメリカの植民地であり、日本の侵略戦争はヨーロッパ各国の真似をしたに過ぎず、彼らを裁かずして日本のみを犯罪者として裁くのは間違いであると主張した。今ヨーロッパ・アメリカの罪を裁くべきであるとも。パール判事の記録はアメリカ他ヨーロッパ各国にとっては誠に耳障りな話であり、出来るだけ公表はしたくなかったのであろう。パール判事の意見は少数の反対意見として無視されて、判決理由もはっきりしないまま、全員有罪と断定された。その結果絞首刑7名、無期懲役16名、その他2名という判決が下されたのである。パール判事は、この裁判は「戦勝国によるリンチと何ら変わらない復讐であり、国際法上、違法裁判である」と激しく非難した。何のことはない連合国側が名のある武将の首を各国一人ずつ分け合った如きものである。
そもそも太平洋戦争は連合国側と日本側のどちらに言い分があったのか定かではないが、パール判事の記述によれば、あえて戦争に誘導したのはアメリカであり、日本側には戦争に導くような共同謀議や意図はなかったと記述されている。1938年頃から始まったアメリカ、イギリスを始めとする連合国の日本に対する経済封鎖(俗にいうA・B・C・D・対日包囲網)により、日本国内の物資が極端に不足して、国民生活にも影響が出だしたのである。1940年に入ると一切の軍事資材、生活物資までが禁輸された。更に1941年7月にはアメリカから一方的な日米通商条約の破棄が宣告された。そして1941年12月8日(昭和16年)太平洋戦争の勃発となったのである。この辺の詳細記録はパール判事の調査資料に記録されている。
国際法上は戦勝国が戦敗国の政府を構成した人間を捕えて、これを断罪出来るということは記されていない。大戦後発布された国連憲章でさえも個人に対する戦争刑罰はしてよいとは記録されていない。パール博士によればこの裁判は法律的外貌はまとっているが、本質的にはある目的を達成するための政治的裁判にすぎないと言明している。以下は、博士自身による日本人に対するメッセージである
*****私は1928(昭和3)年から45(昭和20)年までの18年間の歴史を2年8ヶ月かかって調べた。とても普通では求められないような各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文のなかに綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分に研究していただきたい。 日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れてゆくのを私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書きかえられねばならぬ。***** (昭和27年11月6日 広島高等裁判所での公演から抜粋)
A級戦犯を靖国神社に祭るのはけしからんという議論が、終戦記念日には毎年繰り返されるが、A級戦犯7名の処刑者は元を正せば誤った裁判の結果の犠牲者でもある。敗戦のどん底から何とか立ち上がれたのは、アメリカの戦後復興援助あってのものとは思うが、何の罪もない一般市民を大空襲で数十万人も虐殺したり、加えて原子爆弾の試験的投下を行い、一瞬にして広島・長崎で35万人の命を奪った責任は何処にあるのか未だに明らかにされていない。
パール判事も原爆投下責任者について言及している。そもそも日本の敗戦色は濃厚で密かにロシヤに戦争の終結について打診していたとの記事もある。いくら戦争とはいえ何の関係もない一般市民を無差別に大量殺戮し、すべての財産まで一瞬にして奪う原子爆弾、その放射能による後遺症で60年経った現在でも苦悩している大勢の罹災者に対して、原子爆弾投下命令を出した責任者の処置はどうなっているのか?戦勝者とはいえ、大虐殺を命じた責任者は国際法でしっかり処罰されるべきではないだろうか。終戦記念日には日本国民はもっともっと声を大にして世界に訴えるべきではなかろうか。63回目の終戦記念日に当たり、もう一度しっかり歴史を見直して、真実を子孫に伝えてゆくのは、この時代に生きた我々高齢者の責務ではなかろうか?
*参考文献 パール判事の「日本無罪論」 田中正明著 小学館文庫
*ラダ・ビノード・パール国際判事の略歴
・1886〜1967 インドベンガル地方出身の国際判事
・1944 カルカッタ大学総長
・1946 ネール首相に請われて東京裁判インド代表判事に就任
東京裁判終了後国連国際法委員、同委員会委員長を歴任した。
*http://www.asahi-net.or.jp/~UN3K-MN/0815-pal.htm
パール判事に関する記録については「パール判事」でインターネット検索すれば他にも沢山参照出来る。